無益な欲望から距離を置き
生きるための「必須な欲望」を
重視することで
精神的苦痛、肉体的苦痛から 解放され
幸福な人生を送ることができる
こんにちは!タクドラたみです♪
今回は、ストア派哲学と双璧をなすと言われる「エピクロス派」の、エピクロスの『教説と手紙』について、超要約します
エピクロスは、紀元前1世紀の、古代ギリシャの哲学者です
エピクロス先生の主な主張
『快楽主義』
① 無益な欲望を捨てる
「富・名声・権力」と言った、永遠に満たすことができないであろう欲望を放棄する
② 必須な欲望を充実させる
「必須な欲望」を満たすことが最大の「快」とすることから
エピクロスの主張は『快楽主義』と言われます
③ 自然な欲望を否定しない
ただし、自然な欲望の中の、必須ではない欲望は、こころの潤いになるので否定しません
④ 「隠れて暮らす」
「隠れて暮らす」とは、孤立するという意味ではありません
俗世にはびこる、無益な欲望にまみれる人々と距離を置くという意味です
その上で 大切な人との時間を 充実させるという考え方です
もちろん、大切な人との時間は「必須な欲望」です
つまり『快楽主義』とは、無益な欲望から距離を置き、生きる上で必須な欲望を最大限に満たすことが、人生 最大の至福と考える主張です
(635) 【快楽の哲学】教説と手紙|エピクロス ~人生が豊かになり過ぎる快楽主義のすすめ~ – YouTubeより転用
「エピクロス」語録
自己充足を、われわれは大きな善と考える、とはいえ、それは、どんな場合にも、わずかなもどだげで満足するためにではなく、むしろ、多くのものを所有していない場合に、わずかなものだけで満足するためにある
セネカ先生らの、ストア派の禁欲主義とは、一線を画し
少ないもので満足できれば、わずかな贅沢で、大きな快をもたらすことが可能であるという主張です
欠乏にもとづく苦しみがことごとく取り除かれれば、ぜいたくな食事と等しい大きさの快をわれわれにもたらし、パンも水も、欠乏している人がそれを口にすれば、最上の快をその人に与える
空腹は、人が生きる上で必要な食事が欠乏している状態です
これが、満たされないことも 人は肉体的苦痛をともないます
生きるための食事は、豪華な食事より、人間にとって重要です
これを満たすことも、生存本能がある生き物にとって、大きな満足や安心感を手にすることができると、エピクロス先生は 主張しています
さて、私は「空腹は最大の調味料」と、どこかで聞いたことがあります
また、明治の蓄財王 本田清六さんは『私の財産告白』の中で「二杯目の天丼は美味く食えぬ」と言ってます
これらも「最上の快」の例えでしょう
快が目的である、とわれわれが言うとき、われわれが意味する快は、道楽者の快でもなければ、性的な享楽のうちに在する快でもなく、じつに、肉体的において苦しみのないことと霊魂において乱されない(平静である)こととほかならない
エピクロス先生の幸福(快)は、贅沢を続けることや、人が本能的にもつ承認欲求を追い求めることではなく
身体に痛みや不調などのない健康、人が生きる上で最低限の衣食住が整っていること
そして、大切な友人や家族と、素晴らしい時間を過ごせることです
まとめ
私は、この2,000年 以上前に書かれた『教説と手紙』を、数百円の古本の文庫本を買い読みました
特に『幸福論』として重要な部分は、P65~P74の「メノイケウス宛の手紙」の、わずか10ページ分です
その次に、P127~P153の「エピクロスの生涯と教説」の部分で、エピクロス先生の人物像が理解できます
個人的に『幸福論』の中で、今の私が、最も好きな考え方で、鴨長明の「方丈記」に近しいと感じています
エピクロス先生の「教説と手紙」は、アバタローさんの動画で、分かりやすく解説されています
タクドラたみの おすすめの動画です
おまけですが、途中引用した本田清六さんの「私の財産告白」は、動画で朗読を聞くことができます
通勤時や、家事をしながら、聞くのは、おすすめです
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